死を選ぶのって、死ぬほど怖いじゃん。
りゅうちぇるさんが7月12日に自ら命を絶ってですね・・・なんかこう、愕然とするニュースでありましたね。まだお若いのに。上島竜平さんが亡くなられたから1年以上経ってしますが、お二人ともテレビの画面では明るくふるまう姿を見せてくれていたので、その分、心の闇の深さを慮(おもんぱか)ってしまうのでありますよ。
先週後半はワイドショーもりゅうちぇるさんの事件をトップニュース扱いで取り上げていて、誹謗中傷が大きな原因のようにも報じられていますが・・・コメンテーターの解説だけでは、人が死ぬことについて、しっくりと腑に落ちないんですよね。
で、そのニュースの後には、判を押したように“こころの電話”の告知もされていましてね。そこに微妙な違和感。
死というものを考えるのに、その対極の“生きる”ということを見つめ直したくなるのですが・・・
まだまだりゅうちぇるさんの騒ぎが冷めない、17日(月・祝)の夜にNHKで「哲学的街頭インタビュー #1 何のために生きていますか」という番組が放送されたんですよ。30分の短い番組であります。
“何のために生きますか”ってね、なんかタイムリーなテーマですよね。
私は大学で文学部哲学科に席をおいていたので、まぁ、哲学というものには一家言ありましてですね。哲学をエッセンスにした番組はついチェックしてしまう癖があるんですよ。
でもね、“哲学”のコンテンツにした番組は、たいてい失敗してしまうわけですよ。つらつらと難しい言葉を並べて、“これが哲学ざます”とお高くとまっていては、なんか一部の人たちだけのものになってしまう。リアリティーが無くなって、作っている人たちの自己満足で終わってるようにも見えるわけですよね。
大学から来たスマートな教授がいくら今風に話をしても、どうしても堅苦しさが抜けないから、近づきにくくなってしまうわけでしてね。
本当の哲学というのは、極めてシンプルなものなんですよ。人生論なんて、大学の教授が語るより、長距離トラックの運転手が語る方が面白かったりする。そのシンプルさがよく出ていた番組だったんですよね。
街頭で目に付いた人に“何のために生ているのかって問われたら、何と答えますか?”と尋ねていく。その質問の相手が狙ったように、雰囲気からして世のくせ者という人が多く・・・タトゥーだらけのアパレル店員さんとか、でっかいモヒカンのミュージシャンとか、アクセサリーで肉体改造しているバーの経営者とか、髪をピンクに染めた50歳のラーメン店員とか。
そんな彼らの口から出てくる“何のために生きてるのか?”は、
「まだ見つかっていない。希望を待っている。」
「ただ何となくやっている。ネガティブもポジティブも関係ねぇ。」
「生きたいと思って、生きているのでわけはない。(友人との遊びの)約束があるから、とりあえず(そこまでは)生きる。」
「生きていけるとこまで生きていきたい。今のことを考えている。目的とかそういうのはない。」
「生きている理由よりも 死ぬ理由がない」
「生まれ落ちたから、自分で楽しみを見つけてるみたいなことじゃん。」
そんな飾らない言葉で、“人生”が語られていくわけですよ。彼らの名言が、バンと画面にいっぱいにテロップが載ってですね、なんか藤原新也の作品みたいになっていて、シャレてたんですよね。
で、彼らの言葉を聞いていたら、肩の力が抜けて、心が楽になってくる。
別に生きることに意味とか目標とかを、特に無くてもいいじゃんね、ってね。人生で何も成し遂げらなくても、そんなことは全然 残念な事じゃない。特に強く生きようとしなくても、人間は生きていいのだなぁと。
私個人的な意見ですが、では逆に、死ねるか(自ら命を断てるか)というと、これはなかなか難しい。
死ぬためには、“死ぬほど痛いこと”とか、“死ぬほど怖いこと”をしなくてはならない。安楽死ならば、楽に死ねるとも言われますが、何せ、あの世から戻ってきた人がいないので、「本当に楽に死ねたよ」なんて意見が聞けない。本当は“死ぬほど痛い”かもしれないし、薬を打たれて、身体が動かなくなって、真っ暗になって、“死ぬほど怖い”思いをするかもしれない。それって、死ぬほど不安ですよ。
そんなんですから、死ななければならないほどの理由が無い限り、やはり死ねないですよね。
そもそも世界には生き続けたくても、命を失っていった人たちが山ほどいるわけですから、死のうなんて贅沢な選択でありますよ。これは一応言っておかないとね。
では、人が自ら命を断つということはどういうことか。死ぬほどの理由があるということでしょう。
借金に追われたりして、どうしようもなく、この世に居場所を無くすような場合もあるでしょう。ですが、それにしても、清水の舞台から飛び降りるように“えいやっ!”という勢いと覚悟が必要なのでありますよ。きっと。
で、りゅうちぇるさんや上島竜平さんは自ら命を断たれたわけですね。市川猿之助さんも自殺未遂されたと。市川猿之助さんの場合は、雑誌にスキャンダルと載せられると、それこそ、この世での居場所を失うと考えられたのでしょうけどね。
で、三人に共通するのが、実行された日に火星♂と木星♃の凶角アスペクトあったということなのであります。
火星♂は“熱くなる”を、木星♃は“大きくなる”を意味します。凶角は出過ぎることを示しているので、火星♂と木星♃の凶角アスペクトは、“勢いが出過ぎる”ことを表しています。暴走するとかね。
【ここでホロスコープ初心者の方のためにアスペクト(角度)のことを簡単に伝えると、星同士の角度が0、60、120度の時は“吉角”と言って、良い働きをする角度。90、180度、つまり直角か、真裏に星が来ると、“凶角”と言って、強く出過ぎて、害になりやすい影響を与えやすい角度。詳しくは私のサイトを見てね。】
まずはりゅうちぇるさん。生年月日は1995年9月29日。亡くなられた日は、2023年7月12日。
いつものように2重円で診ていきますが、内側がりゅうちぇるさん。外側が亡くなられた日のホロスコ―プであります。
火星♂と木星♃の凶角が2つもありますね。180度凶角(黄色ライン)と、90度凶角(水色のライン)であります。
続いては上島竜平さんの場合であります。
上島竜平さんは1961年1月20日生まれ。亡くなられた日は、2022年5月11日であります。
火星♂と木星♃の90度凶角があります。かなりタイトですね。
そして市川猿之助さんの場合であります。
市川猿之助さんは1975年11月26日生まれ。自殺未遂された日は、2023年5月18日であります。
もともと5月18日が火星♂と木星♃が凶角90度の日だったのですが・・・もっと言うと、火星♂、木星♃、冥王星♇がTスクエアという強い凶角だった日なのですが、そこに市川さんの土星、冥王星と合わせて、グランドクロス(十字架)になっていたということですね。グランドクロスというのは、180度凶角2つは90度で交わる超強い凶角の星並びなのであります。
火星♂と木星♃の凶角は、“えいやっ!”という清水の舞台から飛び降りるような勢いを奮い立たせることができるのかもしれません。度胸が出てしまうというか。
ただ、全ての自ら命を断たれた方にこのアスペクトが出来ていたわけではないですよ。上に挙げた、最近のお三方には偶然、共通して見られたなぁという感じで受け止めてください。
そもそも、火星♂と木星♃も凶角は、大勝負をする時に出きやすいアスペクトであります。勢い、調子に乗っているというか、ちょっと出過ぎているというか。勝つか、負けるかは別にして、人生を賭けた勝負をしている場面だったりすることが多いですね。
例えば、岸田文雄さん(1957年7月29日生まれ)と河野太郎さん(1963年1月10日生まれ)が自民党総裁選で争った2021年9月29日には、お二人とも火星♂と木星♃の180度凶角ができていましたね。こんな感じの大舞台の時が多いです。
でね、私は、結構、亡くなられた方のホロスコ―プをチェックしておりますが、亡くなる時って、人生で最悪という星並びをしていることなんて、まずないですよ。その方の死にざまみたいなものが出ていたりしますね。闘病生活で苦しんでいると、星並びにはストレスが強く出ていたりします。家族に囲まれ、幸せな死に方をされた場合には、そういう星並びだったりしますね。
火星♂と木星♃の凶角の時はですね、アグレッシブになり過ぎていたのかもしれませんね。
私なんか、もう50代半ばになっているので、別にこの先一花咲かそうなんて望みもないのだけれど・・・。
なんて言うんですかね、映画で言えばね、1時間30分の映画で、もう1時間以上観てしまったね、この映画はどってことない作品なんだろうなぁと悟ってはいるのだけれど、まぁ、ここまで来たら、仕方ない、最後のエンドロールまで観てやろうかなという感じなんですよね。まぁ、このまま映画館を出てもいいけど、特に他の予定も無いですしね。
例えば、鑑定していて、10年くらい先に素敵な星並びがある人の場合は、“どうせ死ぬなら、それを味わってから死んだ方がいいですよ。”ってアドバイスしたりします。そうすると、“そこまでは生きてやろう”という気になりますもんね。
生死のことを語る時、前世とか来世とか、魂とか言ったりするじゃないですか。あれって、その方が救いがあるから、そういう考え方をするような気がするのですよね。だって、肉体が死んだら、そのままこの人生のストーリーがすっと終わって、真っ暗どころか、意識も無くなって、すべて消えるという方がね、死ぬほど怖いですもんね。たとえ、クソ地獄でもいいから、なんか意識のある形でストーリーが続いてくれないかなぁという人間の甘い期待のように思えるのですよね。で、勝手にそう信じてしまっていると。
だからね、“来世はちゃんと生きて、出世して、楽しく生きてやるぞ!”なんて考えを持っても、無駄かもしれませんよ。
だから、まぁ、今を生きようかなと。
これっきりかもしれないから、この映画を最後まで観てみようかなと。