日本人にはピンとこない おうし座のイメージ

牛のイメージというと、日本人の場合、“臭い”とか、“のろい”ということになるでしょうね。

だから、星占いでの12星座のおうし座のイメージを最初に思い浮かべるのは、そういったものになりがちなんだけど・・・そうじゃないんだな。

西洋占星術でのおうし座は、“ぜいたく”とか“快楽”、“富”というものになるんですよ。

牛はですね、大地の豊かさを掘り起こすもの という意味なのでしてね。

そんなこと言っても、やっぱり、ピンと来ないかもしれない。

だってね、日本人にとって、牛ってさ、やっぱり・・・。

で、牛というものが日本人にとってどんなものだったかを考えてみる。

日本人を歴史的に見た時に、すごく独特なのが、江戸時代まで肉を食べない文化があったこと。

豚肉とか、牛肉とかを口にしないから、他の国と比べて、自然と魚をよく食べる生活になった。

それが、仏教の影響からなんだけど・・・子供の頃、不思議に思ったのが、他の仏教国は肉を食べていたじゃん、みたいなね。

日本人が肉を食べなくなったのは、元をたどれば、675年に天武天皇が肉食禁止令を出したから。

仏教の殺生を禁じる思想に従ったものだけど、この令は少し変わっていて、4月から9月30日と期間限定だった。まるでイスラム教のラマダン(断食)のような感じ。でも、その期間以外は普通に食べてよかった。

しかも食べていけない動物は、牛、馬、犬、鳥、猿。

豚、猪、鹿は食べてもよかった。

実は、牛を食べてダメというのは、田畑を耕すのに使うためという意味があったようで。4月から9月30日というと、ちょうど農繁期だからね。

この期間、農機具としての牛を無くすと農作業に影響が出るから、天皇、つまり当時の政府がね、わざわざ、食べるために殺すなという命令を下した訳ですよ。

その後も、肉食禁止令は何度も出され続けて・・・つまり、実はこっそり肉を食べていたんですよ。みんなね、そんなに簡単に肉を食べるのは止められない。そりゃそうだわね。

で、何百年もかけて、日本独特の仏教が浸透して、肉食がだんだん穢(けが)らわしいものだと思われてきて、江戸時代に将軍 徳川綱吉が、生類憐みの令 を出す頃には、“肉を食べない”文化が日本に定着していったわけですよ。

話は戻りますが、

かつては日本でも、牛はちゃんとね、田畑を耕し、“大地の豊かさを掘り起こすもの”として大事に扱われたというわけですよ。

ところが、江戸時代になると、話が変わってくる。

日本人は、農地に使えそうなところを古代からどんどん開拓してきたけれど、江戸時代になると、もうそんな土地が無くなってくる。なにせ平地が少ない国土だからね。

でも、もっと米の収穫を増やしたいから・・・で、どうしたかというと、同じ広さの農地から、より多くの米を獲れるようにしようと努力した訳ですよ。方向性をちょっと変更したと。

狭い土地で、より丁寧な農業して、収穫を上げる。

良い肥料を使うとかね。

現代人の我々では、イメージをしにくいのですが、狭い土地では、牛を使うより、人の方が良かったりする。

牛に犂(すき)を引かせて田を耕すより、人が鍬(くわ)を振り下ろして、せっせと耕した方が深く土を掘り起こせる。その方が農作物の育ちが良いのですよ。

自分の手で重い鍬を持って、汗かいて耕す方がしんどいに決まっているけど、そっちを選択するしてみたら、稲穂がよく実ったというわけ。

狭い土地を有効活用しようとする農業スタイルで、生産性は右肩上がりになっていく。

で、人力でどんどん耕して、頑張ってしまった結果・・・

江戸時代の間に、米では、同じ広さの田んぼでも収穫がおよそ1.5倍に伸びている。

1.5倍ってすごいことですよ。収入が1.5倍になったら、すごいでしょ。

そんなわけで、江戸時代には、牛ではなく、“人間が大地の豊かさを掘り起こすもの” になっていたんですよね、日本では。

この農業の変化を “勤勉革命” と名付けて、提唱したのが、歴史人口学者の速水 融 氏。

尾張藩の農村部では、人口が増えているのに、家畜が減少していることに注目していた人なんですよ。ちなみに尾張藩というのは、現在の名古屋あたりですよ。

尾張藩でも、米の生産は増え、人口も増えているのに、

当時のデータでは、1600年代半ばから150年の間に、牛などの家畜が半分に減っていたという。

これは何を意味しているのか。

そりゃね、人間だけでやっても、収穫が増えていったんですからね。牛が必要でなくなったので、飼育しなくなったということですよ。

牛を育てるのに、餌の牧草を育てる場所も田畑に変えてしまったこともあるでしょう。

既に、肉を食べる習慣も無くなっているから、食肉用に牛を育てることもない。

牛を育てるメリットがないと。

当時の人たちから見ると、

もう牛には頼らない、人の力で豊かになってやろうとスタイルで、上手くいってしまったわけですよ。

生産性も伸びて余裕ができたから、祭りなど、文化面でも華やかさが増していったし。

で、速水氏曰く、これで、日本人の “勤勉は美徳” という価値観が作られていったというのですな。

人の頑張り、踏ん張りで結果を出すんだという価値観。

それで江戸時代の農業で成功体験をしてしまっていますからね。この価値観は強く支持されていく。

西洋では、特にプロテスタントでは、神のために働くという宗教観で勤勉さが形成されていったのが、日本は経済的に豊かさへの欲求から勤勉さが強く形成されていったと。

日本にも、広い土地さえあったら、牛を使ってどんと広い土地を耕して、楽して豊かになろうと思想になっていたかもしれないのに・・・。

まぁ、牛に働かすより、自分が額に汗を流し、耐えて、苦労して働いた方が美しいと考えるようになった。

一方、人の頑張りで、生産性の高い農業、仕事をしようとすると、どうしても労働時間が長くなる。

その価値観が明治以降の後世にもずっと引き継がれて、今の長時間労働の習慣が日本にはできていったというのですよ。

平たく言えば、多い仕事量を残業でカバーしようという習慣。

最近、やっと“働き方改革”で残業禁止のところが多くなってきたけど、日本の“勤勉は美徳”という根っこの価値観はそう簡単にはひっくり返らないかもしれないね。

まず人が我慢して、努力することで、生産性を上げる。

こういう考え方って、日本人の場合、満員電車とか、東京の住宅事情とか、いろんなところに染み付いているようにも見えますけどね。

ということでね、日本人はですね、

牛が 大地の豊かさを掘り起こすもの というイメージがピンと来ないわけでありますよ。

牛さえ持っていれば、牛に働かせて、富を得て、楽しいことがいっぱいできるという発想はよその国の話でね。便利な道具を使ったりして、力まず、楽しみながら、仕事しよう、暮らそうという発想は、日本ではあまり受け入れられないのかもしれない。テレワークが普及しないのもそのせいかしら。

おうし座は、贅沢とか、快楽とか、富という意味で・・・

“勤勉は美徳” の逆ですよ、と言っても、日本人には理解しにくいのでしょうね。