リサイクル

名古屋、東京、大阪と、鑑定を求める人たちがいるので、特に今年の後半、私は移動し続けた。

この3つの都市に言えることは、再開発が進んでいて、大きなビルが立ち並んでいることである。東京に関しては言うまでもない。私の地元名古屋でも名古屋駅周辺は高層ビルの建設ラッシュである。

大阪へ行った時、梅田駅北側のグランフロントを見た時、やはり大阪の底力を感じさせられた。一気にあれほどどっしりといかつい姿の大きなビルを何棟も建ててしまっている。大阪の人の話では、人の流れが梅田駅南側から北側に移っていっているらしい。

スクラップ&ビルドの再開発でどんどん新陳代謝され、さらに膨れ上がっている都市はまるで生き物のようである。まぶしくて、エネルギーが旺盛で、目を離していると置いていかれるくらいである。

 

しかし、日本全体で見れば、そんな上手くいっている街は珍しいのである。多くの地方都市は、バブルが崩壊してから、駅前の風景がまったく変わっていないところが多い。90年代までは、バブル中の計画を実行したので、なんとか再開発したけれど、つまりここ20年近く風景が変わっていない街が圧倒的に多いのである。20年以上となると、バブルの時ですら、相手にされなかった街ということである。ビルに入っているお店が変わったというところはあるだろうけど、改装した後の方が、むしろ寂しくなったというところもある。猫があくびしながら昼寝をしているような街である。

 

私の住んでいる愛知県西部でもそんな風に置いていかれた地方都市はたくさんあって、でも、そこで生まれ育った者は、愛着があるので何とかしようと息を吹き返させたいと思うのである。

 

私の知り合いの浅井さんは、その街で育ち、その街の高校を出て、その街の市役所を勤め上げた人であった。

長く環境課で仕事をしたので、今、流行の環境問題には特に詳しい人間である。現場肌の人で、いつも作業服で、ポケットには軍手が入っているという身なりである。環境問題のことで疑問が湧けば、詳しく説明してくれるどころか、熱弁になって止まらない人なのだ。まだ東日本大震災が起こる前に、「核のごみ処分問題」のシンポジウム、ワークショップを行っていた人でもある。一方で、労組でも中心的な立場を担っていたせいか、市役所内ではそれほど出世しなかったようである。市役所に行っても、いつも仕事で外を出歩いていたため、どこまでが仕事なのか、自分の興味本位なのか境界の見えない人であった。

 

その浅井さんが突然、2011年、市役所を早期退職した。

そしてその年の春に行われた市長選挙に出馬したのである。この時の市長選は、市議会議員選挙も兼ねていた。浅井さんは、地元でも環境関係の市民活動を先頭に立って活動していたので、知名度はそれなりあって、市議会議員選挙に出るのではないかという噂はあった。おそらく市議会議員なら楽勝で当選していたことだろう。しかし、市役所勤めが長く、議会の活動も眺めてきた浅井さんにとって、地域を変えるには、トップに立つしかないと考えていたのだろう。

 

私はその市に住む人間ではなかったので、選挙権はなく、ただ陰で応援するしかなかった。

その結果は、現職市長に対し、1万7千票 対 1万票で負けたのだった。この投票数を見れば、いかに小さな街の話かが想像できるだろう。それにしてもだ。たった2週間でここまで善戦できたのだから、大したものである。

 

しかし、浅井さんは自分が負けるだろうことは踏んでいた。実は彼は4年後の、次の選挙を視野に入れていたのだ。予行練習であり、予告でもある。でなければ、2週間前に出馬宣言して、家族すらも驚かすような無謀なことはしないである。

私はなるほどと感心した。当たり前と言えば、当たり前なのだが。

 

浅井さんの生年月日は、1952724日。辰年生まれ。

 

私には私なりの計算があった。辰年生まれの夏前生まれの者は、2015年秋から2016年夏にかけて、生まれた時の木星、現行の木星、冥王星による幸運の大三角形、グランドトラインが出来上がる。木星と冥王星のアスペクトというミリオネアともビリオネアとも言われる仕事運、財運の大きな星並びである。このレベルの星並びは早々できるものではない。一生の中でもトップ5に入るであろう仕事運の好調期である。しかも1年弱もの間続くのである。

当てはまる人もいるであろうから、もう少し詳しく書き上げると、
1940年7~9月ごろ、1952年7~9月ごろ、1964年6~8月ごろ、1976年5~7月ごろ、1988年5~6月ごろ、2000年5~6月ごろ、2012年4~5月ごろの生まれとなる。

 

つまり浅井さんは、2011年の次に市長選、つまり2015年には、ミリオネアの幸運の大三角形が出来上がる直前に選挙を迎えることになる。これは市長選に勝って、ばりばりと仕事をするということを意味していると予想するのが当然であろう。

 

浅井さん本人には伝えていない。星占い師は、頼まれてもいないことは伝えるとは限らないから。

 

浅井さんはその後、環境のアドバイザーなどの仕事をしていて、あっちこっちに飛んで歩いていたが、ある資源回収業者に提案して、ちょっと変わったカフェを開いた。その店長に就いたのだ。

空き缶や古新聞、段ボール、家電、古着など不要品回収所であるが、カフェが併設しているというユニークなものであった。カフェを伴うことで、一般の人にリサイクルに関心を持ってもらいやすくするという狙いだ。しかも資源、資源ごみなどとも呼ばれるものであるが、それらを現金で一般の方から購入するというものだ。もしくは、スタンプ制になっていて、スタンプを貯めると、併設のカフェで使える。無料回収しますよ、というのはよくある。しかし、一般の家庭を相手に、現金で不要品を購入するというのは、国内どころか、OECD加盟国レベルで見ても珍しいものだそうだ。途上国では、資源を一般の人からも現金で購入するそうだが。古新聞などをわずかな金額ではあるが、購入してもらえるというのは、一般の人にはまだ慣れないものであって、開店当初は苦戦したようだが、黒字になるのにはそれほど年月はかからなかった。

 

ただカフェの方は利益が出ないそうだ。仕方ない。名古屋ではモーニングサービスという、豪華なおまけが付く喫茶店の慣習がある。朝11:00ぐらいまでにコーヒーなどを頼むと、普通にトーストとゆで卵が付いてくる。客寄せのためにモーニングサービス競争は激化していき、サラダ、ゼリーどころか、郊外に行けば、小倉アントースト、サンドウィッチ、ホットドック、揚げパン、アイスクリーム、おにぎり、茶わん蒸し、味噌汁、雑炊・・・と、突っ込みどころ満載にメニューに幅が広がっている。そもそもモーニングサービスを一日中やっているお店も結構ある。しかし、このモーニングサービスに経費が掛かり過ぎて、郊外の喫茶店ほど、経営には苦戦を強いられている。そこで、思い切って、改装とともにモーニングサービスを止めてしまうお店もあるが、間もなく閉店しまう結果となる。

 

浅井さんのカフェでも、トーストとゆで卵とバナナが付いてくる。ドリンクがコーヒーで300円台である。このモーニングサービスが夕方5時まで行われている。周囲が田んぼだらけという地域にしては珍しく、Wifiフリーで、電源が各席に用意されていて充電し放題である。幼児が遊べる小さなキッズスペースもある。そういった先進性も浅井さんは持っている。

人気はあっても利益はなかなか出せず、資源回収の方で経営を補っているが、それでも、カフェの方も常連客がしっかり根付き始めていた。

 

そんな中、2013年の暮れに市長が突然、辞職を言い出したのだった。

敵対して当選した市長が任期の途中で辞めて、選挙が予定よりも早くなったということだ。

私は、浅井さんに呼ばれ、急な対策を練ることになった。もちろん、浅井さんは立候補を公言した。私が相談されたのは、主に広報面である。ネットでの広報をどうするかということであった。

選挙は2014年となった。2015年のつもりであったので、1年早くなったということである。

星占いでの読みでも、1年早くなったということは、・・・ベストとは言えない。

 

さっそく知り合いのホームページ制作会社に、連絡をした。知り合い価格で通常の3分の1で作ってもらうように交渉した。その他、FaceBookなどを活用することにした。まだあの頃は、今と違って、FaceBookにも信用と人気と勢いがあった。問題は、内容の決定である。つまり、自分がしたい選挙、市政の方針などである。これらをいかにコンパクトにまとめて、分かりやすくするかである。方向性が無ければ、ホームページは作れない。ただ、頑張りますだけでは、内容がスカスカで、せっかくホームページを作っても意味が無いのである。

自分の住んでいる街を良くしたいということで、改善したい点など、考えればいくらでも出てくる。とりあえずは、公約として掲げるものをピックアップしなければならない。すべてを挙げていては、多過ぎて、伝わらなくなるからだ。

中心となったのは、農業振興事業のために売れなくなった農業用地を売れるようにするためと、駅前の再開発、中学生までの医療費無料などという方向になった。

 

この地域の大きな問題の1つに、田んぼが売れないというものがある。それは、買い手が無くて、売れないという意味ではなく、灌漑や水路の工事に国や地方がお金、つまり税金を掛けたため、農業以外の目的に使ってはならないというものである。農業振興のために税金を使ったのに、すぐに宅地にされては税金を払っている国民に申し訳が立たないからである。そのため、何十年間は田畑として使うしかないのである。言ってみれば、農業振興策に塩漬けされているのである。

しかし、実際にはその工事でより潤っているのは、農家ではなく、土建業者だったりする。

でも、この拘束に困るのは、農家の人たちである。たださえ、後継者不足で悩んでいるのに、宅地にできない田畑など買ってくれる者はいない。かと言って、耕作放棄地にしておけば税金の問題も出てくる。結局、オペと呼ばれる外部業者に耕作をお願いすることになる。

そんな土地が高速道路の出入口近くの価値ある地域に広がっていて、ただ指をくわえているばかりでは、街そのものが萎びていく一方である。

 

浅井さんは選挙活動説明会やワークショップを盛んに行った。スタイルは上下ともいつもの作業服である。市役所時代からの自分の制服と決めているのだろう。退職してからは、グレーから白色に変わったのであるが。

選挙事務所には、夜中に農家のおじいさんがやってきて、「田んぼを売れるようにしてくれるって、本当け?」と訊きにくる人もいた。それほど、この地域に住む農家の人たちにとっては重要な問題なのだ。

浅井さんは特区申請など、いくつかの方法を案じていたようだ。地域によって違うだろうが、発展を妨げているものは何かという洞察力が必要だ。ブレークスルーするために破る障壁は何か。その考えには必ず関心を寄せてくれる者がいる。

 

この選挙では立候補者は4人だが、本命の敵は元市議会議員。相手はとにかくどんな団体にでも頭を下げまくるという手に出てきた。

もう一つは、アベノミクスで勢いづいていた自民党の推薦をお願いすることであった。結局、推薦を得られたかどうかを覚えていないが、人気のある国会議員に応援演説に来てもらっている。実はテレビに出るような知名度のある女性国会議員は、100万円も出せば、どんな僻地にでも、応援演説に行くという噂を聞いている。普段はテレビに出ておいて顔を売っておき、いざ、地方で選挙があると、選挙演説を一緒に壇上に登ってするのである。まるで、ピークを過ぎたお笑い芸人の地方営業のようなものである。

 

何より手強いのは、地元の○○議員さんを味方に付けたことである。この議員は、選挙告示前に浅井さんのところにもやってきて、地域をどう変えていくかを話し合って行ったそうだ。なんてことはない、自分の配下になるかどうかを値踏みしていたのだ。周辺の市町村長はまるで組合を作っているかのように、互いに応援し合っている。そのドン(首領)的な存在になっているのが、その議員なのだ。合併の時などは、調整役になっていたのだろう。例えば、3町が合併して市になるような場合は、その3人の町長たちに、君は新市長で、君は○○君がもうすぐ県議会議員を辞めるから、その空いた席に就いてもらい、君はもう高齢だから、どこかの協会の会長になってもらい・・・という具合である。

だから一斉に周囲の市町村長は相手方の候補者の応援者になった。

 

一方で、郊外の地域は市長、町長になるにも、ある一定のコースがある。お決まりのパターンは、まずは地元のJC、青年会議所、つまり地元の経営者の集まりに所属する。地元の活性化のためにボランティア活動などをしているが、おそらく飲み会の方が多いのではないだろうか。外車自慢だったり・・・。PTA会長などの活動を併せて行い、まずは市町村議会議員になる。自分の票を確実に集めておくのだ。団体票である。青年会議所も自分たちの代表であるから、自分たちにとって都合の良い市政を行ってもらえるし、そもそも飲み友達になっているので、会社の人間や知り合いも併せて応援する。それらが手堅い団体票となっていくのである。

 

つまりは田舎というのは、一部のまとまった票を持つ強固なグループが強く自分たちのためになるように政策が進められてしまうのだ。そんなんだから、保守的になって、小さくまとまって、気が付いた時には時代に取り残されているという状況になってしまう。

浅井さんは、昔いた労働組合など頼むことができるのだが、それはしなかった。

組織に頼むということは、引き換えにその組織の意向も市政の中に取り込むというのを暗黙に約束するようなものだからである。それでは、自分がやる意味がないという。支援する団体が違うだけで、政治のやり方が一緒では街は変わらないと考えたのである。

浅井さんを支援する人の中には、私が○○市の市議会議員をたった1ヶ月で当選させてやったと豪語する人もいた。つまり団体票を集める術をよく知っているということであろう。その人は、浅井さんのやり方にあきれていた。確かにいくら良い理想と実行力があっても、市長に当選しなければ、ただの絵に描いた餅である。

自民党の支持も受け、団体票も固めてきた相手に向かっていくこととなり、・・・向こうの陣営にしてみれば、勝つべくして勝つという空気感であったろう。

そして、選挙は始まった。出陣式の朝の様子である。

古い一軒家を事務所として借りていた。

 

1週間後、浅井さんは二度目の市長選の挑戦にも破れたのである。

 

私はネット上では善戦した。というより、実は相手の候補は自分が市長選に出るということすら、ホームページ上に出していなかったのだ。ネットに疎いタイプである。

こちらの陣営はホームページどころか、FaceBookも、一般の方の意見も書き込めるブログ型のサイトも用意していた。そのため、選挙当日には「○○市長選挙」と検索すると、トップページの全てを浅井さん関係で支配していたのだ。スマホを使いこなす一般の人は、市長選挙に出掛けようとしてネットで検索したら、浅井さんの名前しか出てこなかったと印象を持ったことだろう。

 

ネットという空中戦では勝ったが、握手や票固めという地上戦に負けたのである。かくの如く、団体票の力は岩盤の如く強固であった。

まだ地方では、それほどネットでの選挙の力は及んでいなかったのだ。

この地方の停滞は続くこととなるのであろう。支援者の中には、新聞社の解説委員もいたが、こんな選挙で負けるなんて、この街は死んでいると捨て台詞をはいて、事務所を後にしていた。

ボランティアで参加した私にもいい勉強になった。地方活性化なんて簡単にいうが、いかに難しいものかを肌で感じることができた。街起こしがドラマで描かれたりするが、都会に住んでいる限り、この重い錆びた鉄の閉塞感は理解できないだろう。

 

浅井さんからはホームページを作るに当たり、ユニークな注文があった。

毎日、どれだけ選挙にお金を使っているか、誰でも分かるように公開できるシステムにして欲しいというのだ。透明性を与える面白いアイデアである。そのため収支が一目で分かるようにした。お弁当代やお茶の葉代レベルまで随時公開していった。彼は、選挙はそれほどお金を掛かなくてもできることを証明してみたかったのだ。

 

一方でその収支を見ていると面白いことが起こった。彼の考えに賛同し、匿名で寄付、献金が多く寄せられるようになったのだ。だから選挙運動の途中から黒字とはいかないまでも、トントンくらいになっていった。

世の中には、負けそうな候補者にも数十万円をポンと出す人もいるものなのだ。

 

ボランティアで参加していた私も得るものはなかったかというと、そうでもなかった。

私はその頃、某ローカル民放局で政治経済討論番組の統括ディレクターをしていた。人脈の広い浅井さんには、出演する議員や学者などの情報、動きなどを教えてもらっていた。情報提供をしてもらっていたので、・・・借りは十分に返してもらったといった具合だ。

 

浅井さんの星回り的に2015年だったら、選挙に勝ったかもしれない。

秋以降に冥王星、木星、木星というミリオネアな幸運の大三角形ができていたわけだから。

 

では、実際の2015年秋に浅井さんはどうなったかというと・・・。

 

不要品回収、資源買取のカフェの事業が急に広がり始めたのである。

同じ形態のカフェをやりたいという申し出がいくつか出てきて、フランチャイズを考えているという。私はそこでも相談されることとなった。

 

カフェをやっていても、浅井さんはトレードマークの白い作業服を着ている。もちろん、汚れの無い清潔なものである。

いつもまったりとしているお店だ。ご高齢の方は新聞を広げている。

私が店に行った時には、もう西日が差し込んでいた。

夕方5時には閉店してしまうがその後も浅井さんと話し込んでいた。

浅井さんの知り合いの中はフランチャイズのしくみに詳しく、薦めてくれる人がいるという。3年間やってきたノウハウを売っていけばいいというのだ。しかし、どうにもフランチャイズという言葉には抵抗があるらしい。フランチャイズというのは、ロイヤリティーという体裁のいいピンハネがある。さすがはお堅い、元労組の偉いさん。

 

一般の家庭からの資源回収業者は、その上に回収したものを納める大手の回収業者がある。その大手の回収業者に対し、発言力を高めるためには、回収量を増やしていくしかない。

発言力を高めたいのは、大手の回収業者に、集めた資源を取りに来てもらう回数を増やしたいからである。不要品回収を郊外で行う場合は広いスペースを確保できるので、不自由はしないが、都市部で行う場合は溜めておくスペースの確保が難しく、頻繁に取りに来てもらわねば困るからである。

 

フライチャイズが嫌ならば、連帯すればいいじゃないですか。

横に仲間を作っていくと。ただし、ノウハウが無いと、回収業には入りにくいだから、誰でも簡単な研修ですぐにマスターできるようにする工夫はあると思いますよ。

 

2015年10月17日に岐阜県の南濃町に2号店がオープンした。
フランチャイズという形態にはしなかった。

資源買取のコンビニを作りたいという、浅井さんの思いがどう形になったかは分からないが、このお店は元々コンビニのお店だったらしい。今、コンビニは飽和状態で、どこのコンビニも経営は四苦八苦である。そんなヘロヘロになっているコンビニ店からの問い合わせが、今、浅井さんのところに結構来ているらしいのだ。

 

辰年夏前に生まれた人たちの、木星、木星、冥王星のミリオネアな幸運の大三角形は2016年の8月ごろまで続く。実際、浅井さんの仲間の資源買取のカフェは愛知県内でもう数店がオープンする計画も進んでいる。

 

浅井さんの店自身、地元に根付いてきたのか、この12月は嬉しい悲鳴を上げているようだ。大掃除の季節はこれまでも、混雑していたが、今年はさらに大繁盛しているらしい。資源回収で、わずかだが現金で買い取るという珍しい取り組みが根付いてきたのだ。

最近、浅井さんが熱心に話していたのは、羽毛布団のリサイクルである。

羽毛のリサイクル工場を見学してきて、布団の羽毛というのは、高品質のダウンジャケットなどとして蘇るそうなのである。新品に劣らないくらいの品質になるそうだ。そういう話をしている浅井さんの目はキラキラしている。それで最近は羽毛布団の回収に力を入れているそうだが、なかなか集まらないそうだ。そりゃ、そうだわな。羽毛布団って温かいものね、なかなか手放せないでしょ。

カフェのお客の数も一日に200人近くなってきている。以前の倍以上だ。

 


人は思い通りにならない時、短期的にはがっかりと落ち込むことがある。

けれども、数年後になって思い返した時、あれはあれで良かったのだと受け入れられるようになっていたりする。

 

運気が良いとか、悪いとかで一喜一憂というのは視野の狭いもので、実は本人の決意とか覚悟みたいなもの方が大切だったりする。

結果が悪いと分かっていても、進みたい方向に進まなければならないこともある。

ただ星占いは、どう悪いのかとか、いつ回復するのかなどを教えてくれるから、助かるのだ。優れた参謀である。

 

一方がダメになっても、別の方面で息を吹き返して、輝いたりする。

生活していると、そんなんばっかりじゃんね。