年賀状じまい
今年はですね、“年賀状じまい”のスタンプとか、シールとか、もしくは年賀状じまいの内容がプリントされた年賀状といったものが売れているそうなんですよ。
中には、郵便局に行って、年賀状じまい柄の年賀状を買い求めたお客さんもいたようでして。
年賀状が85円に値上がってですね、年賀状離れが急に進んで、“年賀状じまい”というのが、トレンドと言いますか、流行語大賞の候補に挙がりそうな勢いですよ。
もう50年近く前の話になりますが、
私の兄は学生の時に郵便局で配達のアルバイトをしていたのですよ。まぁ、兄の人生で初めてお金を稼いだ場所が郵便局だったのです。だから、冬休みに入るとすぐに年賀状の仕分け、年始は配達をしていたのです。学生だから、赤い、重い自転車に乗って、首にはマフラーをぐるぐる巻きにして走り回っていたのですよ。
まだ地球は今ほど暖かくなかったから、お正月前後は雪なんかもよく降っていました。息は白いけれど、配達しているとそのうちに汗ばんできたりしてね。兄はお正月、元日、朝早くに一人だけお雑煮を食べて出かけていましたね。だから、その頃の我が家はお正月には食卓で家族が揃ってということはなかった。
当時は、毎年、テレビでも年賀状の配達の出発式はニュースになっていました。
お正月早々、ごろうさまです、みんなのために頑張ってください、というニュアンスのニュースでしたね。多くの家庭で、年賀状が届くのを楽しみにしていた時代ですからね。
まぁ、私の兄はそんな国民行事の一端を担っていたということであります。
ポストからの回収にしろ、仕分けにしろ、配達にしろ、人の手が掛かって、それなりに労力がかかっていたのですよ。
年賀状の起源は、奈良時代とも平安時代とも言われていて、年賀状はがきが郵便局で売られるようになったのは、明治の初頭。そこらあたり昭和にかけて、じわじわと庶民に広がり、国民行事になったのであります。
それまで各家に挨拶回りしていたのが、はがき一枚で済ませられるのですから、行く方も迎える方も楽ちんなわけですよ。
それはそれで大発明だったのでしょうね。
ただ楽ちんになったとは言え、はがき一枚一枚手書きだったわけですよ。
私は中学、高校時代ぐらいまでは一枚ずつ、水彩絵の具でイラストなんか描いたりしてですね・・・友人から来るものそうだったし、お互い、相手の顔を思い浮かべながら、手間ひまを掛けていたわけですよ。もちろん、大人たちもそうだった。何十枚、何百枚も書いていた人は、12月も後半になると、夜遅くまで宛名書きするのが風物詩でして。肉筆で書かれた年賀状はがきには、疲れた字や、イラストの乱れから、はがきの向こう側が透けて見えたりしたものです。
80年代にプリントゴッコが普及し出すと、はがきの紙面を埋めてくれたので、ずいぶんと楽になった。でも、手作業のせいか、インクも厚く、色ずれのミスもあったりして、まだはがきに温もりが残っていた。それに、各々にオリジナリティーがあったんですよね。
90年代後半にパソコンが普及すると、年賀状は家庭で“大量生産”されるようになった。同時にデータ化が進んだこともあって、印刷会社が年賀状プリントを一般の方からも大いに受けるようになった。スピードも速くなった。
家族の写真なんかはきれいに送れるようになり、大いに進化した。同時に手間も無くなった。それは良くも悪くもね、年賀状に興ざめさせる結果になったのではないですかね。
一方で、表面の住所は苗字が変わったのに旧姓のままで送られてきたり、離婚しているのに、前の夫婦のまま連名で送られてきたりして・・・住所録のデータが修正していないことがバレバレだったりしてね。そういった年賀状はもらう方がむしろ気分が悪くなる。
大量生産されると、もうただの社交辞令といいますか、店頭に置いてある“ご自由にお取りください”と書いてあるカードと変わらなくなる。仕事関係や販促では元々そんなものだったのでしょうけど、味気が無くなったんですよね。どんなにご立派な印刷でも、ありがたみがぐっと落ちました。
さらに時代が進んで、SNSが普及すると、写真どころか、動画まで色鮮やかに送れるようになった。
普段からチャットをしていて、そこに写真や動画も載せているから、もう大量生産された紙プリントの年賀状はがきの存在意味が無くなってくるわけですよ。SNSで新年のあいさつをすればいい、となる。当然のことです。
わざわざ年末年始、郵便局員さんに回収、仕分け、配達をさせることはない。
そりゃ、年賀状はがきが多く出回った方が郵便局は儲かるのでしょうが・・・それって、無駄な労力でしょう。
私も年々、年賀状を減らしていってだけれど、数枚だけ、どうしてもやりとりしている相手がいます。
その一人がSさんで、ずいぶん前のブログの「12ハウスの男」で紹介した男性であります。趣味で小説を書いています。
コロナ前に脳卒中で倒れまして、身体が不自由になっているんですよ。もうずっと寝たきりで。今は70歳を越えています。
もともとネガティブな人間なのですが、さらに人と会うことを拒むようになり、私とも年賀状のやりとりだけになってしまいました。倒れてから数年間は、年賀状にはまさにミミズの這いずったような字で一言書いてあるだけでした。字を見れば、手の痺れが分かるのですよ。それからだんだんと文字数は増えていって、昨年はこんな文面の年賀状だったんです。
賀正
独りで居ることが辛くありません
色んな事の多くは
何と詰まらん人生だったと
この2年
受賞1作
佳作2作
書けるもんだと思ったよ
もっと早く人との交わり
断っていればね
なんかね、だいぶ元気になってきたのだなぁって、伝わるのですよ。
ただ、こんな年賀状を送られたら、会いには行けないですけどね。SさんSNSやっていないし。
つまり私はSさんと年賀状はがきでしかコミュニケーションがとれないのですよ。
だから、この人間関係を続けたかったら、年賀状のやりとりを続けるしかない。
で、私はどんな年賀状を送っているかというと、ここまで言っておいて何ですが、肉筆ではありません。
ただ相手がどんな一年になるのか、スペシャル 星占いによる運勢を書いて送っています。
結構、手間は掛けています。Sさん以外にも相手の方は私の年賀状を楽しみにしてくれていますし、1年間は大事にとってもらえているそうです。
星占いは私の特技ですからね。
これなら、85円のはがきで、郵便局の人がポストで回収し、仕分けして、配達する手間が掛かっても送る価値があるかなと思っています。
年賀状は無くなりはしないと思うのですよ。
こんな風に年賀状でしかやりとりしない相手もいるでしょうから。
それでも、大量生産された年賀状ではどちらかが止めたくなるかもしれません。
ただ惰性で続けてきただけならば・・・これを機会にストップしてしまうことも仕方ないですかね。
そうなってくると、年賀状を続けるには、どういうやりとりをしたら良いのかという年賀状の“再発明”する必要があると思うのですよね。見直すと言いますか。
相手が楽しみにしてくれて、これなら年賀状を続けようと思えるもの。
自分の気持ちをちゃんと表現するツールとして使いこなせるかどうか。
あと、相手が年賀状じまいしていて、返事は期待していなくても、こちらから一方的に年賀状を送るくらい、その人に伝えたいものがあれば、年賀状は続くのではないですかね。
私が年賀状に相手の1年間の運勢を書いているのは、そういうところがありますね。