さよなら ヒーラーXさん

大阪梅田から少し歩いたところに、茶屋町というエリアがある。小洒落た通りがいくつも入り混じっていて、毎日放送MBSや劇場、ロフト、7階建ての本屋、ほかにも路面店の雑貨屋、美容院、ランチ時には行列ができている今風の飲食店が軒を連ねている。カラフルでね。日差しが明るく入っていてね。歩いているだけで、化粧品やお店の匂いにふんわりとした気分になれる街だ。休日は、人通りも多くて、特に若者がいっぱいで華やかさがある。
まだ日の高いお昼過ぎに、一軒のカフェで待ち合わせた。もうすぐ日本を去るというので、お別れに最後に会うという形でね。
Xさんは、ちょっと広めのカフェの中の、一番奥の席の角に座って、コーヒーを飲んでいた。陽の光が届かないちょっと薄暗い席だ。あごの下には無精ひげを生やしていた。もう50歳も半ば近くで、アーミー服のようなカーキ色のブルゾンを着ていた。

元気ですか?と挨拶すると、“そこそこ元気よ。”という言葉が返ってきた。
私も席に着くと、コーヒーを頼んだ。エスプレッソのような色も味も香りも濃いものだ。
騒々しく、隣の席の人の声も聞こえないようなお店。Xさんは、ソファー席で脚を伸ばしていた。

“つぼぼさん、その念珠を貸して。”
私は、右腕に水色の石の念珠をしていた。彼に渡すと、ちらっと眺め、
“石が疲れてるね。”
手の平にゆっくり載せて、もう片方の手を被せて、がらがらと音がするように揉み始めた。
無言で3分ほど、回した後、念珠を持ち上げ、
“ほら、いい色になったろう。” と私に返してくれた。
確かに、彼に渡す前は色がくすんでいたような石が、すっかり鮮やかな色になったような・・・気がする。

Xさんはヒーラーだ。
私は星占い師なんてやっているから、その手の商売の人は、私の周りでは珍しくない。
彼は滋賀県の出身で、最初は地元でサロンを開くところから、ヒーリングの仕事を始めた。
手から気功のような波動が出ているようで、それで身体の悪いところを治している、ということだ。私は実際には施術してもらったことがないので、どんなものか分からない。私は、肩こりとか腰痛といったものをほとんど経験したことがないので、そういったものを頼んだことが一度もないのだ。針灸とか、マッサージとか、リラクゼーションサロンの類も行ったことがない。

で、Xさんは、滋賀でやっていたのだが、そのうちにもりもりと人気が出てきて、東京へ進出していった。
最初は横浜、それから東京の三鷹。そこから何回か店を変え、飯田橋、品川。だんだん地価の高い場所に移っていったと。その度に規模を大きくしていってね。大きくしていったといっても、人を雇っていったわけではない。ヒーラーだからね。人を雇っても、できるわけではない。女性受けするように、セレブな感じでどんどん綺麗なお店にしていったというわけだ。まぁ、儲かってきたということだ。
手の平をかざすようにして、時には相手の手を握ったり、患部を撫でたりする施術だった。その姿はマッサージのようにも見えたけど、それ以上の効果があったから、お客さんが集まったのだろう。お店には、お客さんが横に寝そべられるように、簡易のベットも置いてあった。彼の施術のスタイルなのだ。
さらに彼は遠隔でもヒーリングができるそうだ。だから、リピーターさんなんかは、電話などでも対応していった。遠い場所から、彼は気を送って、お客さんの体調を整えることができたのだそうだ。
常連客も結構多くいたので・・・彼の絶頂期は、羽振りが良かった。夜は銀座で飲み歩いていたそうな。残念ながら、私は彼のそんな姿を知らないのであるが。

彼とは久しぶりに大阪の茶屋町で会って、特に多くを語ることなく、そんなことはよく分かっていて、ただ賑やかに他人の話し声が響くお店で、酸味と苦みのきいたコーヒーを飲んでいた。
Xさんは、そんな具合で、数年間は右肩上がりで調子よくやっていたが・・・大きく儲けると、銭の匂いがぷんぷんしだして、魔が寄ってきて、魔が差すのかもしれない。
Xさんは失敗をしでかしてね。日本を出ることになったわけですよ。

東京で、1か月ぐらいは予約待ちになるくらい人気を博していたXさん。
ところが突然、彼はお客さんから訴えられてしまう。
“わいせつ行為”をしたというのだ。
その女性客は警察に訴えると言ってきた。
訴えてほしくなかったら、・・・金銭の要求をしてきたのだ。怖いタイプの男性も一緒にやってきたという。
Xさんは、困惑し、何も決められずにおどおどしていると、その女性は次の手を打ってきた。
Xさんは人気があったので、SNSのフォロアーが数千人いた。むしろSNSも活用して、集客をしていたとも言えるのだが、その女性は、彼のフォロアーの一人一人に、
“私は、Xさんにヒーリングの施術室で、わいせつ行為をされました。(中略:わいせつ行為の内容)あなたはどうですか? ヒーリングと言われ、Xさんにいやらしいことをされていませんか?”
というようなメッセージを何度も送りつけたのだ。

Xさんのお客は一気に離れていった。
彼は、要求されたお金を払った。しかし、一度払っても、また請求され・・・何度も払うことになってしまったそうだ。お客さんたちには噂が広まってしまったので、東京のヒーリングサロンは閉店せざるを得なかった。それからは、身を隠すようにして、暮らしたと。
彼の話では、彼女に支払った金額は、家一軒分を越えているそうだ。実際、彼は自分の持ち家を売ってしまった。彼はヒーリングで稼いで貯めたものもすべて放出することになった。
金銭的な被害が及ばぬように、妻とは離婚し、成人している子供とも会わないようにした。
今はもう請求されることがなく、生活は落ち着いたけど、家族とは会っていない。
もう日本でヒーリングの仕事を続けることもできないので、一人、東南アジアへ行くことにしたというのだ。

彼の話では、明らかに脅迫なので、こちらから警察に訴えてもいいし、裁判しても負けはしないだろう。しかし、彼は自分がヒーラーという社会的に信用が無い仕事なので、こちらの言い分は信じてもらえない。勝ち目はないから、お金を払ったというのだ。
無実無根ならば、相手に警察に訴えてもらって、決着を付けてもよかったのではないかと思うのだが。でも、わいせつ行為をやっていないと証明することは難しいのかな。電車の中の痴漢行為も、時々、無実なのに訴えられて捕まってしまう、いわゆる冤罪の話もあるようだし。
Xさんは、そういった裁判を怖れたのか・・・そんな裁判が明るみになれば・・・親戚にもヒーラーなんて仕事をしているとは伝えていなかったようだから、余計に恐れたのだろう。

請求額は膨らんでいき、結局、家一軒分も支払ってしまったというのだが・・・SNSのフォロアーにメッセージを流すなど、最初から狙われたものだったのかもしれない。

ヒーラーという仕事は、世間的には怪しいグレーな仕事である。
“蛇の道は蛇”というが、怪しい仕事で儲けている人間を食い物にする、さらに怪しい人たちがいるということなのだろう。そんなグレーな部分を突かれたというか・・・うす暗い世界の仕事だから、鬼もいっぱいいるのだろう。
Xさんは、家も、家族も、仕事も失ってしまった。
彼は、こういった業界の先輩として、私に貴重な体験と教訓を伝えてくれたのだ。

“思うんだけどさ。つぼぼさん、密室は・・・いかんね。気を付けた方がいいよ。”

Xさんの口からこぼれてきた言葉だ。
彼のヒーリングスタイルでは、どうしても相手の身体を触ることになる。電車の中の痴漢と同じで、どこからがわいせつ行為になるのか・・・難しいところだ。

私は星占いをやっているが、個室などではやっていない。
よく女性が、「男性と2人きりで個室で話すのは、怖いです」と言う人もいるが、女性と2人きりというのは、私だって怖いのだ。Xさんの話を知っていたからは、余計に怖くなったのであるが。

彼の状況は前から聞いていたから、今さら話すこともなく、たわいない世間話が続いた。沈黙ができがちだったところに、唐突に彼は歌を口ずさみ始めた。ぼそぼそとした声だ。

 “月火水木金 働いた~♪ ・・・・”

周りの人の声がよく響いてくるお店の中だから、聞き取りにくかった。
覚えのあるフレーズで、何の曲だろうかと思ったら、SHISHAMOの曲だ。
若い女性のバンドの曲だ。今時は、ガールズバンドというらしいのだが。
50歳半ばのXさんとは、イメージがかけ離れていたので、なかなか結び付かなかった。

“ダメだ もうダメだ 立ち上がれない~♪
そんな自分を変えたくて 今日も行く~♪

いいことばかりじゃないからさ~♪
痛くて泣きたいこともある~♪  ・・・”

Xさんは、マレーシアに行って、株で暮らすと言った。今はパソコンとネット環境があれば、世界中どこに居ても、投資をすることができる。私には、南の島のギャンブラーのように見えるのだけれどね。

“俺、勘はいい方だからね。”

そりゃ、ヒーラーだから、勘もいいでしょう。でも、人生の罠は避けられなかったようで・・・。

“俺、この先どうなる?”

私は彼の生年月日を聞いて、ホロスコープチャートを作る。Xさんはもともと、木星、海王星も入ってのグランドトラインを持っていて、さらに金星、冥王星が重なっていて・・・これは、なかなかの強運の持ち主。なるほど実力以上に評価されたり、贅沢をできたり・・・。私は、木星、海王星の重なることを“バブル星”と呼んでいるが、実力以上に評価されたり、浮かれることを意味している。元の性格も陽気で、図々しい。さらに、2018年はそのグランドトライン上に木星、海王星が重なる。木星、海王星が2つずつ組み込まれて、グランドトラインができるのだから、これは、確実に、浮かれますよ。

“俺も、そう思っていた。”

軽いね。やっと、にっこりと笑みが出てきた。
少し明るい気分になれたのか、Xさんは話が弾んできた。

“俺さ、NHKの「ファミリーヒストリー」って、好きなんだよね。”

XさんはSHISHAMOの次は、テレビ番組の話だ。なかなかミーハーな人だ。
彼の目線は、天の遠くの、海の向こうを眺めているようだった。

“あれ、観てるとさ、人間の運気の良い悪いなんて、一個人で完結するとは思えないんだよね。
人の幸、不幸の量というものは、誰でも、死ぬまでの合算の量は、皆一緒とか、平等という人もいるけどさ、そんなのは違うよね。だって、全然違うやん。一人一人違うのよ。一人一人で見ちゃ、いけないと思うのよ。
ほら、ファミリーヒストリーにゲストで出てくる芸能人とか、スポーツ選手とかって、すっごく輝いてるやん。それだから、テレビに出てるんだろうけど。
でもさ、その高祖父とか、祖父とか祖母とかはさ、命からがら満州から逃げてきたとか、夫は早くに亡くなって、どうしようもない貧乏の中、苦労して一人で育てとかさ・・・。事業に失敗して逃げてきたとか・・・。
人の命というか、運気、ストーリーみたいなものは、つながっていて・・・竹のようにつながっていて・・・1人の命は、竹でいうところの1つの節(ふし)でね、それが連なっているわけですよ。一つ一つの節で、完結しているんじゃなくて、1本の竹全体で、流れのようなものがあるんじゃないのかねぇ。
その人なりに真面目にやっていれば、徳のようなものが、子や孫につながってってさ。いつか、ぱーっと、花咲くような気がするわけよ。・・・たとえ、俺一人がダメでもさ。”

Xさんは、今から地道に徳を積んでいくと?

“そうねぇ。俺は、来世、真面目にコツコツやるよ。”

来世って、、、それ、ダメじゃないですか。 ・・・反省していないですよね?

“反省しようがねぇだろ。”

2人で笑った。
今世は、南の島で、ビールを飲んで、東南アジアのエスニックな料理を食べて、さらに株で大金を手にできたら、美女をはべらせて、優雅に第2の人生を過ごすつもりのようだ。上手くいけばね。
Xさんは、マレーシアに行ってしまった。
最後に大阪で会って以来、私はまったくXさんに会うことも、どうなっているかも聞いていない。
この2018年の2月に入るまで、株価は記録的にずっと上がり続けたから、まぁ、星回り通り、南の島でそこそこ豪勢に浮かれていることだろう。

日本では寒い日が続くが、青い空は、マレーシアにもつながっていて。そんな空を見て、思う。
わいせつ行為の疑いで脅迫されて、それで家や家族を失うほどのお金を請求されたのだが・・・
実は、Xさん、わいせつ行為をしたかもしれないな、ってね。時々、疑うのよね。
Xさんは軽いところがあるからね。
そっちの罠にかかったのかもしれない、ハニートラップというやつ。

でも、そんなことは、今となってはどっちでもよい話だ。

さようなら、ヒーラーXさん。