煙の重さ

付き合いの長い友人がいて、でも、アラフィフになると、なかなか会えず、年に一度くらいしか顔を会わさないという人がいるものだろう。

Mさんとはかれこれ20年の付き合いになる。映像の編集マン、まぁ、平たく言えば、映像編集のスタッフ、オペレーター。もともとは仕事仲間だ。でも意外に共通の友人がおらず、というか、他に長く続く、深い付き合いをしている友人がおらず、もう何年になるか忘れてしまったが、“2人忘年会”というものを毎年行っている。何気に12月になると、メールでやりとりして、2人だけで忘年会をしているのだ。待ち合わせもいつも名古屋駅の西側だ。年の瀬の名古屋駅は、厚着したせわしい人たちの雑踏だ。

20年ほど前、彼はプロダクションの映像の編集マンで、私はTVディレクター。
で、編集マンというオペレーターとただスタッフ同士の関係かというと、NHKの番組制作の場合はそうではない。ディレクターは、プロデューサーの指示の下で番組を企画し、取材し、撮影し、その後、編集作業に入っていく。狭い編集室の中、編集マンと二人三脚で、“ああでもない、こうでもない”と無い知恵を絞り合って、撮影した映像を見ながら、番組の構成を再び作り直していく。ディレクターはナレーションを書きながら、内容を考えていくのだが、撮影が予想したよりも上手くいかず、映像に説得力が無い時は、深い反省とともに映像構成を練っていく。そしてまた、編集した映像にナレーションを当ててみて、がっかりしながら、“ダメだ、こりゃ”と頭を抱えるのだ。
編集室というのは、窓が無く、4畳半ぐらいの狭さだったりする。そんな部屋に2人が1週間ぐらい籠ったりする。だから、相性が悪い編集マンだと最悪で、逃げることもできず、ものすごく精神的に滅入り、憂鬱となる。だが、彼とは相性がとても良かった。
Mさんとの最初の仕事は、ほぼ2ヶ月間休日無しの缶詰状態で、毎日夜中の1時、2時は当たり前という日々が続いた。放送があるので、締め切りというものがあるが、“これでいいや”という妥協が無い世界なので、徹夜なんかも結構あった。
となると、編集マンとディレクターというのは、いわば戦火を共に乗り越えた “戦友” となってしまう。
ということで、彼とは20年の付き合いになった。

12月の中旬。今年の冬は刺すような寒さはなく、気の抜けた感じで、師走とは思えない。Mさんは、愛想のいい笑顔をいつもしている。丸っこい体型が、また一回り大きくなったような。
毎年のことだが、待ち合わせた後、適当に知ってるお店の候補を挙げて、気の向いたままのお店に行く。どこでもいいのだ。おっさん2人だ。駅裏の、安くて、気軽に飲めれば、それでいい。いつも平日の陽が沈むかどうかという時間に会う。夕方ぐらいのお酒が好きなのだ。人がまだあくせく働いている時間から飲み始めるお酒は美味しい。どうせ、2人とも世の忙しさからは浮いているし、お店は空いているし。

今の彼はフリーの編集マン。私は星占い師、とは言いつつ、今でも頼まれれば、簡単な映像の仕事もすることもある。
駅裏のまだできてここ数年の新しい居酒屋に入る。揚げ物の油の匂い。店内に流れているのは、懐かしい昭和の歌謡曲ばかりだ。なんやらロゴの入った、お揃いの黒いTシャツを来た若い女性が愛嬌を振りまきながら、でも急かすように注文を聞いてくる。
お酒を選ぶのが面倒なので、いつも私らは生ビールだ。で、メニューも選ぶのも面倒なので、適当にお品書きに“おすすめ”と書かれたままの、おでんとか串ものの、なんとか盛りとかいうのを注文してしまう。

お互い1年ぶりだから、“今、どんな調子?” みたいな会話から始まる。彼は50代後半になってしまった。私はアラフィフである。正直、新しい技術を学ぶにはしんどい年齢だ。映像編集の機器やソフトは年々進歩していく。カメラなんかも、最近は単焦点レンズが流行しているそうだ。単焦点レンズというのは、簡単に言ってしまえば、ピントが合うところが狭い分、周囲がぼけてカッコ良く写せるレンズのことだ。CMやドラマによく使われる。ところが、ピントが狭い分、操作が難しく、これまでのテレビカメラで育ったカメラマンは失敗ばかりするという。困ったものだ。
4Kだの、VRだの・・・40代までは時代に付いていく気力があったが、今は・・・。歳を取るというのは、体力が衰えることであるが、例えるなら、スマホの古いバッテリーのようだ。いっぱいに充電しても、あっと言う間に電池が底を付いてしまうのだ。あれ、もう無い? みたいな。
さらに老眼というものものある。朝起きた時に細かい字が読めない。本を読むにも、目が疲れるので、ついつい読書から遠ざかってしまう。だから、新しい知識を得ようという気力が落ちていくのだ。
私も動画のカメラは扱える。だが、薄暗い場所だと、カメラの細かいスイッチの類いがもう見えないのだ。お手上げというか、あきれるというか、諦めの境地。

で、この1年どんな仕事をしたか、楽しいことがあったか、なんかをまったりとMさんと話すのだ。
彼はバツイチの独身だ。子供はいない。フリーの身だけに収入は不安定ではあるが、稼いだお金は好きに使っている。新車を買ってまだ1年というのに、秋にプリウスを盗まれたという。一見不幸な話のようだが、保険が降りて、おかげで新型のプリウスが買えたのだ。でも、盗まれた旧型はドレスアップしてあって、なかなか気に入っていたようだ。得したのか損したのかよく分からん。新しいプリウスも慣れてくると、だんだんカッコ良く見えてきたが、どうもテールランプの形が中途半端でねぇ、みたいな。
彼とは気が合うので、そんなたらたらとした話でも十分に楽しい。安い居酒屋が心地良い関係なのだ。
ビールは進んで、彼は私の倍くらい飲んで、4杯目とかになっていた。
テーブルの上には、お互い遠慮し合って残ったおでんが冷めて・・・ぼってりしている。夕方に入って空いていたお店も、1、2時間経ち、ふと見回わすと真っ赤な顔したおじさんたちで混んでいた。がやがやと賑やかだ。電球の光に照らされる中、若いバイト店員が注文を威勢良く、聞き回っている。ジョッキの残りが3分の1ぐらいなって、“飲み物は?”と言われると、Mさんは反射的に“同じの”と、またビールを注文する。

Mさん、以前は “健康診断を受けると、どこどこが悪いから気を付けろ って言われるから、行かないですよ” なんて言っていた。でも今は、糖尿病の薬を飲んでいる。
映像の仕事は徹夜も多いし、独身男性が一人で暮らしていれば、野菜が少なく、脂っこいもの、塩分の多いものばかりになってしまう。健康は犠牲になってしまうのは、承知の上だ。体型も十分にま〜るい。だからと言って、居酒屋でビールを惜しむことはない。

2人忘年会で、これも恒例なのだが、私は彼の1年間を占っている。酔っている中での、余興のようなものだ。で、彼は昨年の2人忘年会で占った紙を持ち出し、どれがどんな具合で当たっていたかを教えてくれる。

「言われた通り、昨年より仕事は減ったねぇ。」

彼は腕がよく、いろいろアイデアを出してくる編集マンであるが、年齢的にあまり呼ばれなくなっているのかもしれない。
2017年には彼の生まれた時の月(=心)の180度凶角位置に、現行の土星(重圧)がやってくる。解釈すれば、重荷が彼のメンタルに掛かるということである。その後 2018年には、生まれた時の火星(=痛い)の180度凶角位置に、現行の土星が移動する。私は火星と土星のアスペクト(角度)を“我慢星”と呼んでいるが、凶角の場合は、“我慢させられる”感じとなる。
つまりMさんは、どうも来年、再来年と強くストレスが受けそうなのだ。
で、その辺りに心当たりが有るか、訊いてみると・・・
2016年、彼のお母さんは体調を崩して入院したそうなのだ。それで実家に帰ってみると、父親がいるのだが、軽い認知症なのだという。父親は、子供返りしてわがまま言い放題になっていた。認知症ではよくあることだ。手を付けられなくなっているそうだ。昔から、あまり仲が良くなかったそうだが。
“心の重荷”、“我慢させられる”というのは、Mさんの予想では、おそらく、来年、再来年はこの高齢になった親の世話や介護の問題が出てくるのだろうと。
ただもう一つ、2017年の10月ごろには人との別れなどが起こりやすい“疎遠星”や出費が多くなりやすい“お金貯まらない星”ができている。
これは何を意味するのだろう。いろんな可能性を考えてみても、それ以上話をしたくなくなる。再来年も“我慢星”ができているのだから、人が去った後も、しんどい思いは続くのだろう。彼に言わせれば、最悪なのは、母が亡くなって、父が一人残されるパターン。

映像や仕事の話をしている時のMさんより、この家の問題の話に変わってからの方が饒舌になっていた。声も大きくなった。酔いも回ってきたからかもしれない。

「昔から好きでない親父が、命令口調で “ああせい、こうせい” と偉そうに言ってくるんだよ。それがどうにも堪えられない。子供っぽくなっているから、どうにも手に付けらなくてね。」

特に頭を悩ませてはいても、なかなか人には話しにくい個人の問題というものはある。かと言って、人には知られたくない。自分からは言い出しにくい。本当は一番、人と話したいことなのだけれど、それを話すきっかけがつかめない・・・。ベールを被せたり、心の奥の箱に仕舞い込んだ自分の姿だ。
年齢とともに、そんな箱がいっぱい積み上がってくる。

でも、ホロスコープを見れば、そんな 箱の中の“見つけてもらいたい自分” というものがぼんやり浮かび上がる。

それは、その人が “本当は一番会話したい話”だ 。だから星占いは、カウンセリングの効果もあるのだろう。
歳を取れば取るほど、人生は複雑になっていって、自分のコントロールできる範囲がぐっと狭くなって、自分自身も活力が失っていって、流されていくことに諦めるしかないような感じになっていく。

彼はバツイチで、前から時々、その離婚を後悔しているところもあった。一緒にいる時は分からなかったが、別れてみると、“あれが良かったんだなぁ”とか・・・。
今ある姿は、生まれてからこれまでの人生の何千という選択と行動の結果で、・・・それを受け入れていくしかないから、仕方が無い。人生の残り時間も、可能性もどんどん減っていることも仕方ない。
多かれ少なかれ、皆、そうであろう。
人生のこれまでの何千という選択の中で、常に後悔の無いベストなものを選んでこられた人間なんて、ほんの一握りであろうからね。

彼は一人っ子で、兄弟はいない。働きながら、両親の看病と介護をするのは無理だろう。
私は認知症に関しても取材したことがあるので、一般の人より知識は有る。グループホームなどの施設はどこもいっぱいだし、施設によってサービスのレベルがピンキリなのだ。今はまだ要介護のレベルが低くくても、良い施設を早めに探しておいた方がいい。彼の両親は80代後半だから、正直言って、年金だけでそういった施設の料金が賄える。
・・・やがて、両親とも逝くであろう。・・・やがて、彼は一人になろう・・・その老後は?
そこまで考えるのはよそう。それまでにいい星並びもいくつかある。

もうお腹がいっぱいで、箸は止まっていた。ビールも泡の付いたジョッキがあるだけだ。

彼はテーブルの隅にあった、薄っぺらい鉄の灰皿を取り出した。

「1本だけ、吸ってもいいですか?」

彼はもともと煙草を吸う人間だ。だが、吸わない私に気を使って、吸わずにいる。いつもそうだ。私は、煙草の煙などまったく気にしていないのだが。
最近、銘柄を変えたそうだ。ちょっとは健康を気にするようになったかな。
火をつけて、深く吸い込んで頬が膨らむと、笑みが戻ってきた。
煙草の先をとんとんと灰皿に叩く。煙草のけむりが、騒々しい居酒屋の空気の中をすーっと昇って、まぎれていく。
口から吐く煙は、ため息のようでもあった。
唐突に、Mさんは言った。

「煙の重さって、どうやったら計れるか、知ってますか?」

黄色っぽい光に照らされた店内。数時間経った飲み会で、余興にしては難しい問題だ。
重さも何も、煙は上に上がっていってしまうではないか。計りに載せられない。重さとしてはマイナスなのだろうか。
煙の重さねぇ。
少し考えてはみるが、酔っている私にはどうにも考えがひらめかない。
分からないと、首を横に振った。

「煙草の 煙の重さ というのは、
 吸う前の煙草の重さから、
 吸った後の煙草の灰の重さを引けばいいんですよ。」

なるほどね。
どこかで得た知識であろうが、なかなか興味深い問題だ。
新品の煙草の重さを計って、燃え尽きた後の灰の重さを引き算する・・・。
灰皿に残った白い灰。
煙はまっすぐに、静かに昇り続けている。
彼の煙草はまだ火がついていて、・・・吸っている途中だ。

「この1本を吸い終わるまで待って下さいね。」

Mさんは笑った。

名古屋駅まで一緒に歩いていって、別れた。手を振る。彼はいつも笑顔だ。
できれば、1年後とは言わず、年に数回会いたいものだが、気付いたら、また1年経ってしまっているのだろう。
お互い、よい年になって欲しいものだ。