人間にとっての幸せ、星にとっての幸せ

多少は、ホロスコープの見方を分かってもらえたかな?
結局、10個の惑星
☉:太陽  ☾:月   ☿:水星  ♀:金星 ♂:火星  ♃:木星  ♄:土星  ♅:天王星 ♆:海王星 ♇:冥王星
が吉角(0度、120度、60度、30度)&凶角(180度、90度、45度)のアスペクトで、運気を診るという方法なのよね。
な~んだ、簡単じゃないか。全部覚えれば、私も星占い師ができるわぁ~と、思われるかもしれないから、この5回目にして、ちょっと難題を。
 
そこで、一つ、もしあなたにいつも頼っている星占い師がいるのなら、腕を試させる難問をプレゼントしようと思うのよ。
ある人のことなんだけど・・・。
その人は、1897年(明治30年)11月25日生まれ。
まぁ、「私のひいお婆ちゃんなんですが、どんな人だったのでしょうか」みたいな感じで訊いてみることね。

さぁ、どんな答えが返ってくるかしらね?

結構、いじわる。星占い師もかなり返答に困るかな。

で、みなさんも彼女のホロスコープを覗いてみましょう。
今日はシンブルチャートね。

http://www.m-ac.com/myastrop.php

見れば分かるけど、太陽と火星(力)と土星(地道)と天王星(変化・棚からぼた餅運)と4つの星が重なり(吉角0度)、そのうち、太陽と火星と土星が、木星(幸運・財運)と吉角60度を形成しています。
吉角のアスペクトがいくつあることやら。

でも、基本的に、土星は試練を与えるけど、でも吉角なら、コツコツ型で大成功?
なんたって、木星と吉角60度で、3つも星が重なっているなんて~。

実はこれは強過ぎる星並びなのです。
さぞ、強運で幸せな方だったのでしょう、と思っている方も多いはず。

正解は、中村久子です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E4%B9%85%E5%AD%90

あのヘレンケラーに「あなた、苦労しているわねぇ」と言われた人。

略歴としては
岐阜県高山市に生まれる。
3歳の時に、凍傷が原因で、両手足を切断。
痛みに耐えられず、夜泣きすると、家族に迷惑が掛からないようにと、母親は、雪の日でも、外であやしたという。
7歳の時に、愛してくれていた父を亡くし、10歳の時に弟とも離れ離れに。
母はなんとか久子に生計を立てられるようにと、針の扱いを両手足のない娘に教える。久子は、初めて作った人形を友人にプレゼントするが、唾がついて“ばっちぃ”と、その友人の親は捨ててしまうんだな。
で、久子は努力し、唾がつかない方法を身に付けていく。

だが、20歳になると、母が再婚した相手、つまり義理父に、見世物小屋に身売りされてしまう。
旅芸人として、大八車で移動しつつ、各地で「だるま娘」として見せ物にされ、ほとんど化け物扱いされて、生きていくことになく。
でも、そんな中でも同じ旅芸人の男性と結婚し、娘を授かる。
しかし、数年後、その夫も他界。娘を育てるため、見世物小屋で働き続けるが、37歳で興業会を去る。

両手足が無い段階で、私だったら、完全に生きる希望を失うわね。父を失い、弟とは離れ、母は再婚するも売られ、・・・子供をもうけた時は幸せだったろうに。でも、その後、夫が死別じゃ、いったいどれだけ苦労すれば、おつりがくるのよって叫びたくなるわ。

中村久子、享年72歳。昭和43年まで存命だったそうなんだけど。

火星は吉角なら健康運や力、精神力を表し、土星も吉角なら障害への対応力を意味するわ。

この星並びはどんな試練に耐えうるだけの精神力を持つ“幸運”な星並びなんだけど、まるで、耐える力を試すために強烈な“試練”を呼び集めたみたい。

太陽、火星、土星が重なっているだけで、この人の精神力の強さは分かる。それに加え、天王星が重なっている。本来、天王星は棚からぼた餅のようなチャンスなどを与えるんだけどね。で、これが、幸運の木星と吉角60度なんだな。

つまり、天は稀に見る“幸せ”を与えているのよ。

星占い的には彼女の苦しみと、幸運の木星はどういう関係があるのよって感じ。木星無くてもいっしょじゃない?ってね。棚からぼた餅運の天王星も。

まるで、苦しみこそが、ぼた餅で、幸運と星は言ってるみたい。
そう、結局、“苦しみを越えること”が“幸せ”だったと。
 
強過ぎる。強いから故、天はとんでもない試練をお与えになった。

生き地獄を耐え抜いて、生きぬいて。
手足の無い“生き仏”となって過ごした一生。

耐え抜くことで、彼女が得たものこそ、他の誰もが手に入れられない“財産”、“宝”。

この人は、あらゆるものの有り難みを、誰よりも知っているんでしょうね。

手足がちゃんとあることの有り難さ。ご飯を自分の手で食べられることの有り難さ。縫い物が手でできることの有り難さ。自由に歩くことの有り難さ。蔑まれて、化け物のような目で見られ続けた分、普通に人として扱ってもらえることすら、有り難い。
彼女は、どの一つの有り難さも持っていなかったのよ。
 
ずっと座っている分、流れる雲とか、青い空を誰よりも遠くに眺めていたはず。
地震や洪水が来たら、まず自分は真っ先に死ぬだろうと思っていたでしょうね。
逃げられない。そんな災害が来たら、受け入れるしかない・・・。

まさか自分が結婚できるとは思っていなかったでしょう。さらに子供を授かるなんて。
でも、想像してご覧なさい。
かわいい赤ちゃんを授かっても、おんぶもできない。だっこすら、ままならない。
おむつを替えることだって、できたとしても、人の何倍も苦労するし。

なんたって、娘が少し大きくなって、自分の母親の姿が分かるようになった時・・・。

胸は痛むわね。
中村久子は誰よりも子供を授かった奇跡を大切に思ったんじゃないかしら。
自分の子供が、布団の中で、隣で寝息を立てている。
手の無い腕で撫でてあげる。

この“有り難さ”をきっと涙するほどに喜んだことでしょう。
普通であることの“有り難さ”。 

どうも、星の世界では、高いレベルの幸せになると、我々俗人が望むものと様子が違うようで。

ここまで運良く“幸せ”になると、・・・・・。
やはり“生き仏”の世界。
“悟り”ね。

天寿をまっとうした中村久子は、来世では、菩薩さまにでもなられたのかしら。

あの世に行った時、閻魔大王が、中村久子に「お前の一生はどうだった?」と尋ねたら、
彼女はきっと、「自分の一生は十分に幸せでした」と答えていることでしょう。

幸せは、幸せの顏をしていないから、“有り難い”ことへの感謝を忘れないようにしましょうね。お互い。